ホラん中で沈む

俺が俺自身を“コンテンツ”としてキモ語りする空間です 深夜になんか練ってたまに消す

頭回らんなって訳分からんかもしれんけど言いたいことは伝わってくれ

昔昔あるところにルックバックという読み切り漫画がありまして

その漫画が内容も描写も伏線もバチバチにえぐくてすごくてそれはもう大層傑作だったそうな(※あくまで個人の感想であり効果・効能を示すものではありません。)

そんなにすごい物語ならば、インターネッツの海に感想や考察が飛び交うものになるというのは仕方ないことでございまして

半日もせずに物語の品質の高さに呼応するように、様々な要素を読み込んでしっかりと言語化をした高品質な考察が多く出てくるようになりました

こうなってしまうと「良かったという意見が多すぎて逆に読む気をなくしてしまった逆張りオタク」や「凄いと言っておけば“理解る”オタクとしてのステータスとなると思い込んでいる奴」や「むしろ自分なりに咀嚼し感想は抱いたものの、それを外側に出すのは気恥ずかしかったりもったいなかったりしてしまいこむオタク」などなど、色々な人種が発生してしまうのです

もはや今その漫画は存在がオタクそのものの物差しとなってしまったそうな

めでたしめでたし

 

 

いわゆるオタクの考察ってやつあるじゃないですか

それこそ今回のやつも俺が読んで寝て起きたらTLにわんさか教養があったり様々なところを読み込んだり自分自身の感情を混ぜ込んだりして説得力があり面白い考察や感想がめちゃくちゃ流れてきてて

あれ、マジで危険だと思うんすよね、見るだけで自分の思ってることが流されそうになるから

当たり前だけどバズってる考察や感想って面白いからバズってる訳じゃないですか、そしてそれが広まっているってことは共通認識になりかねない訳じゃないですか、ってことはそれが感想を抱いた作品の読み方のガイドにまでなりうるってことじゃないですか

近頃、感想を抱くために他人の感想を読んでる奴が多い気がする

そりゃまぁ他人が感動した所をその人自身がわかるように咀嚼して出力した情報を読んでんだから感動しやすいってのはわかるし実際俺も面白いなぁと思って読むけどさ、そこから思考を始めちゃったらそれは他人の感情のコピーやんか?完全な複製とまでは言わなくてもその人の感想の子供みたいなポジションになるやんか?

それがインターネッツの集合社会の中で「あれを見てこう思わなければオタクでない!」みたいな暗黙の了解が出来上がっていくのがすげぇなんだかなぁって感じ

特に今回は読み切りという作品のとっかかりやすさと単にクオリティの高さで読み手が多かったからそういう感想の面について色々考えさせられたかもしれんなになった

あとこれは蛇足な個人的な感情なんですけど、「あの事件をオマージュしているならせめて最初に追悼の意を示して欲しかった。そうでないと手放しに評価できない。」みたいなツイを見つけたんすけど、別にそれに関してははっきりと公言されてないし所謂オタクの考察から生まれた文脈なのでそれに振り回されるのはそれこそ評価云々の前の話では?と思っちゃった

 

それこそバズりってのもなかなか罪深いシステムよな、感想に価値がついてしまうし

面白い感想→バズる→バズるということは面白い感想→バズるの構図が出来てるもん

乗っかりやすく面白い感想が自然と流れてくる構図が出来てんのもなかなかね

ああいうの見ずに自分で言葉にしてみたいよね

俺今回たまたま早めに見れたからドバーッと思ってる事書いてから色んな感想や考察見れて良かったなーと思ったね

なんか落とし所なくなっちゃった

マジ頭回らん

てな感じで自戒を込めた問題提起的なオタクのボソボソ呟きキモ文章でした、またね〜